2010/10/14

全体主義

『全体主義』 / エンツォ•トラヴェルソ / 平凡社新書 / 9784582855227
の感想。

P.22 

マックス•ヴェーバーが「合法的支配権」(legale Herrschaft)と定義したものの完全な否定に行きつく。言い換えれば<犯罪国家>の登場である。
だが、全体主義は、文明のパラダイムとは正反対の退行的非合理主義を、歴史の舞台に立たせたのではない。
それはむしろ、西洋近代のただなかを流れる<反=合理主義>を展開し、その破壊力のすべてを悲劇的なかたちで露にしたのである。


当時のドイツは法治国家だった。選挙だってあったし、人々は今の私たちと同じように迷信ではない「歴史」を知りえた。
人権思想だってとうの昔に誕生していたのだし、地球がだいたい丸いことも人々は知ってた。はず。
けれども、あれよあれよという間に恐ろしい事態が人々を支配してしまった。
その坂を転げ落ちていくような悲惨な出来事に対し、ヴェーバーだけじゃない、カントやヘーゲルも何もかも、
それまでに培われたはずの「合理的」な人類の叡智などなんの役にも立たなかった。
そればかりか、むしろその「合理性」がアダになってしまった。

では、合理性をも利用する全体主義の正体とは何なのか?

P.101 からの引用

カール•ヤスパースは、全体主義を、共産主義やファシズムをはるかに超えた現象として、「どの体制よりも普遍的であり、人類の未来にのしかかる<文明>の脅威である」と述べている。


確かに全体主義は時代を超越してる。ようだ。
ある時代では奴隷制、またある時代では魔女狩りや宗教裁判、強制労働、大虐殺。
ある国ではいまだに!言論統制、一党独裁。
各地での焚書も全体主義的現象と呼べるし、日本でも長く続いた江戸時代を全体主義の時代として捉え直すことは十分可能だろう。
徳川による独占支配、五人組による相互監視制、士農工商エタ非人のピラミッド構造、踏み絵、人質を強要し謀反を抑圧する参勤交代...etc.
『一九八四年』は江戸時代の日本において既に実現してたってわけだ。

P.106

ベネデット•クローチェは、
...(略)
その結論に彼はこう書いた。...
決して忘れてはいけない。ギリシャ=ローマにはじまる文明の凋落という以上に、さらに途方もなく重大な何かが起ることを。...
人類は、自然に対して、人間本性に対して巨大な罪を背負い、あらゆる腐敗の保管者たる思想自体を堕落させて死滅するだろう。

クローチェはいつか死滅するだろうと警告している。

ニ千年以上にわたって、世界各地で発生した(している)あらゆる人権侵害や大規模犯罪は、
封建制だとか植民地主義だとか帝国主義だとか資本主義だとか共産主義だとか
まるでてんでばらばらな呼び方に隠蔽され教えられる羽目に陥っているわけだけども、
結局、みえてくるものは、
その社会が全体主義的かどうか「だけ」なのかもしれない。極論だけど。
# どの程度、その社会が全体主義的か?それは測定できるようなものなのか?は、さておき
# 全体主義的現象に共通する特徴についてはこの本でも言及されてる。
思うに...
全体主義的現象の発生を許してしまう「共通必要条件」のようなものはあるのでしょうか。
また、時として、概念による制度的枠組みなど、特定の恣意が影響力を持ちうるような現実においては、無意味の烙印を押されるに等しくむなしく儚い。
といえなくもないのであれば、制度って何?

ところで、今、「正義について」考えたりディスカッションすることは有意義なのだろうけど、
合理性を善とする西洋哲学が全体主義に対して非力であったと同時に、結果的には理論加担させられた歴史を無視したまま、
あたかも絶対的善や絶対的正義が、独立して是とされるような倫理観が助長されるようであれば、あれば、
仮にだよ!あくまでも仮定として仮にそうであった場合(春樹的method)...
それは、いかに合理性が全体主義に利用できるかのロジックを図らずも暴露し、再正当化してしまう滑稽な議論にもなりかねないかも。
などと思った。

#『 これからの「正義」の話をしよう』ISBN 9784152091314

0 件のコメント: