2011/08/29

抽象化

“所有”という時代遅れ
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100622

人がうすうす意識している「何か」が詳らかにされていて大変面白かった。
漠然とした何かと何かを結びつけはっきりと言語化できる人や抽象化できる人をみると尊敬する。

そこにある言葉に心をよせることができなかったとしてもそんなささいな事などもあまり気にならない。
元来、混沌として漠然としたものが一定の視点から形づくられ名付けられ抽象化されて明快になるプロセスや結果は美しいものなのでしょう。

... プログラミングにも抽象化という概念があってこれと向き合うということは、一体なにが self であるべきか?という問いを丹念に考えることのようでして、ましてや隠蔽というのはさらに高度な技のようで、なぜその必要性があるのかは書いた人にははっきりとしているんだろうけれどもそれを知らない者からするとわかりずらいところがあり、が、そこにこそ隠蔽の意味があったりするわけで ...。

プログラミングの楽しさを味わうことは誰にでもわりとたやすいのだろうけれど、その美に手をのばそうとすることは全くたやすいことじゃない。少なくとも私にとってはとっても難しい。第一に美を求める以前に淡々と理解をすすめていくこと、それが難しい。これまでも何度も挫折してる。半年以上何も書かない読まない(プログラムを)こともある。
ところが不思議なものでふとある時に放り出してあった本を手にとってみると以前とは違う感触を覚えたりして、またぞろなにやら書いたり読んだりするものの、しばらくすると挫折する。これを繰り返している。

そんなわけで美を意識できるような世界からは100万光年ほど離れたところでうろうろしていて、急ぐ旅じゃなしと寄り道ばかりして、はてな界隈の優秀な方の文章に感心しきってお茶ばかり飲んでる今日このごろ。

これじゃーね。

# 2010-07-01

2011/08/28

Steve Jobs 氏辞任報道をみて

私が初めて自分の為にパソコンを買う時、何を買おうか半年以上悩んだ。
悩んだ末、Windows OS が抱える問題を自分専用のパソコンにまで持ち込むなんて「おかしいだろう」という結論に至った。

ある日曜日、Apple をこよなく愛する店員さんのいるお店でパワーマックとモニターを選び少しだけメモリーを増設してもらい、マックライフがスタートした。
たしかその年のうちに、iMac が登場し Apple 社のイメージは格段に変わった。
iMac の仕掛人がどのような人物なのか知るにつれ、パーソナルコンピュータそのものの新たな扉が開いたような明るい予感がもたらされ、程なくして Apple 社が危機を乗り越えつつあることを Wired かなにかが報じだした。驚き喜んだ私は猫にごちそうした。
# ただ、あとになって当時なぜ IE が入っていたのかを知った時はなんとも複雑な気持ちを覚えたものだった。

そして Mac OS X β が発売された。なにが画期的だったかといえばコマンドが使えるようになった事だった。最初のまったり感はバージョンアップで消えていったし Aqua はそれまでみたどんな GUI よりもきれいだった。

数年後、ある日ある時電車の中で、ふとある事に気がついてかなり仰天した。
白いイヤホンをしている人があっちにもこっちにも、ほらあそこにもいるではないか!なにごとが起きているのか?にわかに信じられなかった。そそくさと帰宅し調べてみるに、iPod が順調に売れているらしいと分かり時代が変わったことを突如として実感させられた。まさかこんな時代がくるなんて...。よもやテレビコマーシャルで Apple のロゴを目にする日がくるとは...。

今 Apple 製品を様々思い出しながら、かつ、こうして Apple のノートパソコンを使いながら Apple 社に Steve Jobs 氏に心から感謝している。ありがとう。