2009/10/30

悪霊にさいなまれる世界

悪霊にさいなまれる世界 上 / Carl Sagan / 早川書房 / 978-4150503567
悪霊にさいなまれる世界 下 / Carl Sagan /早川書房 / 978-4150503574

この文庫本は2000年に「人はなぜエセ科学に騙されるのか」というタイトルで出版された作品で2009年7月に文庫化されたもの。

訳者の青木薫氏が「訳者あとがきに代えて」の中で

これまでも、たびたび、自ら行李を背負い、一冊一冊行商して歩きたいぐらいだと冗談めかして言ってきたが、実はそれは本音である。

と述べているのが印象深かった。

この訳者が手がけた本は過去にいくつか読んだことがある。どれも非常に面白かった。面白いばかりでなく「読者の1人として尊重されている」とすら感じた。
それはどういうことかというと....

科学分野の本(一般市場に流通する書籍)を書く人たちは、一般人への配慮に欠いていることがある。なぜならその方がより的確な単語を使用できるし効率的に話を進めることができるであろう、から。そこには本が作られる最初から一般人との境界線がある。そのような本は専門書店にだけ置いてあるわけではなく普通の書店にも並べられているので、私が何かの間違いで購入してしまった時、その都度私は自分を落第生だと改めて思い知らされマラソンを走る最後のランナーだと感じてきた。じっさい世の中は私にとって難しい本でみちみちているし。
たまには運良く少し理解できるようになることも稀にある。それはよほど意識的に関連本を探したり、うなりながら何度も繰り返し読んでみたり違う方向から探ってみることなしにはありえない。こういった読者の姿勢は独習することそのものだからそのように学ぶことを、億劫がったり嫌悪するべきではない、という考えは当然なことだとも思うけれども、一方で、難しいことをわかりやすい文章で説明し多くの人が理解しやすい内容の本に出会ってしまうと、なんというか、やっぱり深く感動する。小説を読み終わった後の感動となにも違わない。

そういった意味で「暗号解読」など青木薫氏が訳された一連の本は、読者である私に落第生だと感じさせるような真似は一切しなかった。私は最後まで興味深いマラソンを完走できてしまった。文系人間(高校生の時に文系か理系かの選択を迫られて文系を選択したという意味)の私でも科学ジャンルの本の面白さにフル参加できた...。これは当時非常に稀なことだった。この喜びは本の面白さともあいまって二重の楽しさを私にもたらしてくれた。ひとえに作者の人と訳者の人がわかりやすい文章を用意してくれたおかげだ。そこには科学者でも研究者でもないごく普通の一般人を尊重し信頼する気持ちが根底に流れているように感じた。だから、読者である私は

「読者として尊重されている」

と、思った。
(最近福岡伸一氏の著作にも同じ印象を持っている)

...以上のような経緯があり
この人が訳す本は面白いと認識している。そして実際今回も期待以上に面白かった。この本にこめられたカールセーガンさんの気合いと根気強さには驚くばかりだった。

懐疑的な精神を培うことは民主主義的な思考と矛盾しない。むしろ大切なことのようだ。加えて、もしもあなたが今なお数学や科学に対して文学や音楽に対するのと同じような興味や関心を抱けないでいるのなら、それはあなたの人生にとっても人類の歴史にとってもマイナスでしかない、とカールセーガンさんは言っているんだと思う。たとえこの本を手に取る人が何歳であろうともそんなことは全くおかまいなしに、知るとは科学的とはどういうことかについて改めて立ち止まって考えるべき機会を全ての読者に与えてくれると思う。愚かな権力者に対してストッパーとして役割を果たせるのは、結局1人1人の科学的な視点およびその総体なんだろうと思った。

nationalgeographic.co.jp

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